プロフィール
氏名 | 榎本 あゆみ(えのもと あゆみ) |
生年月日 | 1983年8月13日生まれ 39歳 イノシシ年・しし座 |
学歴 |
●聖心女子大学 文学部教育学科心理学専攻卒業 (2006年3月) ●慶應義塾大学大学院 健康マネジメント研究科 公衆衛生学 (2023年3月修了予定) |
資格 |
●保育士 |
住まい | 港区芝浦在住 実家も芝浦で3代に渡り芝浦在住 |
家族 |
夫・2人の子ども・父・母・弟 |
経歴 |
●2006年4月 ●2010年9月 ●2010年11月 ●2014年9月 ●2015年5月 ●2015年~ ●2018年 ●2019年 ●2021年 ●2022年 【役職】 国民民主党 東京都総支部連合会 政調会長 行財政特別委員会 委員長 |
1日密着取材を受けました
幼少期時代
榎本家の2人姉弟の長女として誕生しました
父が転勤族だったため小学校を3度も転校しましたが、そのおかげでどこに行っても物おじしない子になりました。
幼少期にはバイオリンや日本舞踊など様々な習い事をさせてもらい両親には感謝しています。
弟が産まれ、小さなお母さんとしてお世話をしながら子育ての楽しさと大変さを子どもながらに感じていました。
中・高校生時代
札幌聖心女子学院で、強く美しい女性としての教育を受けました
父の転勤で札幌に引っ越し。自然豊かな札幌聖心女子学院での魂・知性・実行力を基にしたグローバルな教育を受けことが、その後の人生に大きな影響を与えています。
学校の代表として高校1年でアメリカにホームステイで短期留学、高校2年でタイに研修、高校3年で韓国に研修、またタイからもホームステイを受け入れるなど、国際交流での経験を頂いたことで格段に視野が広がりました。
日本に住む自分がいかに恵まれているのか、また人と人としては友人として仲良くできるのに、国と国になると違う感情が出てくることなど多くのことを学び、世界中どこで産まれ育っても自由にのびやかに育つ環境を作りたいと強く思いました。
大学生時代
聖心女子大学で学び、起業をして日本を盛り上げたいと思うようになりました
聖心女子大学で心理学を学び、母親が子どもに与える影響の その後の人格形成への影響について卒業論文を執筆しました。
日本という世界的に恵まれた国にいるにもかかわわらず、少子高齢化で先の見えない不安を感じ、夢や希望すら持つことができない日本社会のために私ができることはないか と考えながら就職活動をしている中、ドリームゲート主催の起業家100人に学生100人がかばん持ちをするインターン活動を経験しました。
そこで年齢関係なく、生き生きとそして熱く日本・世界の未来について語る起業家たちを目の当たりにし、夢を持つことはかっこいい!私も大きな志を持ち続けようと思いました。
起業家支援
日本には、挑戦者が足りない。起ちあがれニッポン
小泉内閣が日本の産業構造を改革するために、平沼元経済産業大臣が掲げた大きな柱が、開業創業倍増プログラムでした。
2003年、経済産業省が本格的にプロモーションし30万人の起業家予備群を生み出すことをミッションとしてドリームゲートが誕生。
それまでキャリア採用しかしていなかったドリームゲートに初の新卒採用として就職。日本をリードする起業家たちと日々仕事をし、私も日本のため挑戦をしたいと思い起業をすることにしました。
上海で起業
上海で起業し多くの経験をしました
少子高齢社会の日本は経済が縮小していくことが目に見えており、国境にとらわれることなくグローバルに仕事をしなくてはならないと思い、上海万博、またGDPで日本を抜いて2位になった中国・上海に単身で渡りビジネスをすることにしました。
商習慣の違い、言語の壁、国民性の違いなど苦労も多かったですが、それ以上に素晴らしい経験をすることができました。しかし、元々日本の少子高齢社会における諸課題を解決したいという目標に近付けていないもどかしさを抱えていました。
そのとき、日本で地方統一選があることを知り、今まではビジネスのアプローチしか考えていませんでしたが、政治の世界から よりダイレクトにアプローチする選択肢に気が付き、区政に挑戦することにしました。
子育てしやすい港区へ
子育てしやすい社会を作ります
聖心女子大学卒業後、日本全国の起業家を支援する会社に入社しました。
多くの起業家と仕事をする中、日本の課題を解決したい、より良い社会を作りいと思いその理想をビジネスを通じて実現しようとする姿に心を打たれ、私自身もアパレル分野で起業し、事業拡大に伴い上海へ渡りました。
上海では、現地のビジネスパートナーと現地法人を立ち上げビジネスを展開する中で、中国の若者たちが明日は今日より良くなると信じ、国の経済成長も目覚ましい姿を目の当たりにしました。
上海にいる間に日本のGDPが中国に抜かれ世界3位となり、国際社会での日本の存在感は低下をし続けることに危機感を感じ自分にできることがないか模索し始めました。
日本全体に漂う閉塞感の原因の1つは少子化による若者や現役世代への負担増や、子どもを生むことが罰ゲームのような社会になっていることであると感じ、これまでの経験を日本の未来のために活かすため政治家への転身を決意。
将来を担う子どもたちが健やかに育つことができるよう、子育てしやすい社会を実現するため、0歳・5歳の子育てをしながら、港区議会議員として経営者目線で区政を厳しくチェックしながら子育て政策の策定や保育園の経営、大学院での研究を続けています。