芝浦小80周年記念式典

先日、港区立芝浦小学校が創立80周年式典に参加しました。


芝生の工程にはテントが設置してありました。

芝浦小学校は近年の港区の人口増加により、平成24年以降毎年100人ずつ児童数が増加し、現在では1年生から6年生までの総児童数が1279人、うち1年生は286人で9クラスに及びます。4月から開校するされる芝浜小学校とは学区域が分かれます。

芝浦小学校の歴史

【芝浦小学校簡易年表】
1942年(昭和17年)2月 – 東京府東京市芝浦国民学校として設立。
1943年(昭和18年)7月 – 東京都芝浦国民学校と改称。
1944年(昭和19年)8月 – 栃木県塩谷郡塩谷町畑下戸清琴楼に集団疎開。
1945年(昭和20年)5月 – 戦火により校舎が全焼
         11月 – 集団疎開から復帰
1947年(昭和22年)4月 – 東京都港区立芝浦小学校と改称
1972年(昭和47年)11月 – 東京都教育委員会より健康優良努力校及び安全優良校の表彰
1991年(平成3年)10月 – 港区研究奨励校算数科の研究発表
1994年(平成6年)4月 – 港区立伊豆健康学園の母体校となる
2006年(平成18年)11月 – 全日本小学校図書館研究会実践授業発表
2007年(平成19年)12月 – 文部科学省児童生徒の心に響く道徳教育推進事業推進校
2008年(平成20年)1月 – スポーツ教育推進校
2009年(平成21年)1月 – スポーツ教育推進校
2011年(平成23年)1月 – 芝浦四丁目8番18号の新校舎へ引越し
2012年(平成24年)11月 – 港区研究奨励校
2015年(平成27年)4月 – 東京都人権尊重教育推進校

芝浦小学校は、戦時中から、地域の移り変わりとともに歴史を積み重ねてきた学校です。

芝浦小学校は、1942年2月に東京府東京市芝浦国民学校として創立され、4月には548名の児童を迎えて開校され、翌年1943年7月 には、東京都芝浦国民学校と改称されました。

1944年8月から栃木県塩谷郡塩谷町畑下戸清琴楼に三年生以上の児童の集団疎開が始まり、1945年5月、戦火により校舎は全焼してしまいましたが、同年11月、集団疎開から復帰しました。

2年後の1947年、復興校舎第一期完成教室7で533名の児童を迎えた後、新憲法のもとに現在の義務教育を定めた六・三制が始まったのをきっかけに芝浦国民学校は、東京都港区立芝浦小学校と改称されました。今の「芝浦小学校」という校名は、このときはじめて使用されました。

その後、1950年から1956年の間に第六期工事までが竣工されましたが、その時点で児童数はすでに860人と、かなりの大人数です!

現在の芝浦小学校

芝浦小学校は4階建ての本庁舎と、仮校舎として建設されたにじ校舎の2つの校舎にわかれています。

正門入ってすぐに左に見える低層の建物は体育館です。
その奥に見えるのが本校舎、
右に写っているのがにじ校舎です。

この4月には芝浦地域に2つ目となる芝浜小学校が開校します。
現在芝浦小学校に通っている子どもたちは、芝浦小と芝浜小とどちらに通いたいか
希望を出しており、その希望に従って4月からはそれぞれの学校に通うことになります。

寂しさもあると思いますが、
芝浦小学校がますます子どもたちにとって愛される学校になるように願っています!

名物?の大きな中階段

お雛様が飾ってありました!

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