保存と開発の高輪ゲートウェイ駅

150年前の信号機跡地

高輪ゲートウェイ駅前開発の4街区に当たる、高輪ゲートウェイ駅前から出土した高輪築堤の遺構を視察してきました。


前回視察させていただいたのは高輪ゲートウェイ駅から田町駅方面でした。

今回視察させていただいた高輪ゲートウェイ駅前のこちら側には、1872年の鉄道開業時の日本における最初の信号機の遺構と考えられている遺構があります。


元々は、この石垣の出っ張りが何を意味しているのかわからなかったそうですが、新橋から横浜に向かう中、この高輪ゲートウェイのあたりから品川にかけて弧を描くようになっています。

そのことからも、この出っ張りには信号機があったと推測されたそうです。

石垣の手前(海側)に無数の杭が打たれています。

波により砂が持っていかれてしまうと石垣自体が崩れてしまうため、杭がまず波を吸収するようになっています。およそ2m50cm埋まっており、松の木だということです。
石垣の上半分は、持っていかれたり再利用されており、出てきたときには下半分しか残っていなかったそうです。


でも、先程の信号機があった出っ張りの石垣を見ていただくとわかりますが、ここの石垣は取られていません。つまり、ここは重要な場所であったことがわかります。

見えている底の部分は海面マイナス1mとなっており、築堤の高さは4mとのこと。
この視察で私達は海側から当時の地上を見ていたわけです。


高輪築堤の出現により、保存について様々な議論がなされています。JRは4/21に現地保存2ヶ所と、移設保存(今回の信号機)1ヶ所を発表しています。

先程の信号機部分は、移設保存を考えているということです。
子どもたちも喜ぶスポットになるといいなと思います!

開発と保存。
大切にするものは後世にも伝え、でも今を生きる人たち特にご近所に住まれ毎日生活している人たちのことを忘れずに進めてもらいたいですね。

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